大津絵
2009年03月01日

●品目
大津絵(おおつえ)
●品目の種類
大津絵
●取材対応
高橋信介(大津絵絵師5代目)
●技の工程
絵、絵皿など-絵付-大津絵
●技の概要
寛永年間、今から約350年前より大津に伝わる民画であり、東海道大津の宿で旅人の注文に応じて描かれた。7色程度で描かれた、簡素でのびのびとした描線が特徴。芭蕉が〔大津絵の筆のはじめは何仏〕(大津絵師の描き始めの絵は何の仏様であろうという意味)と詠んでいるように、もともとは大衆の信仰の対象として仏画から始まった。美人が、武者絵、鳥獣が、仏画などいずれも風刺とユーモアに富み、狂言や川柳に通じる焦点を持ち、今も大津絵の持つ人間風刺は人々に新鮮な感動を与え、親しまれている。
●取材の内容
もともと、この民画と言われる大津絵は仏画より始まった。仏教や土俗信仰が盛んになってきたのは徳川初期であり、そして、寛永年間(西暦1624~43)に大津絵が生まれた。当時、島原の乱を契機として徳川幕府からキリスト教禁止の布告がなされ、その弾圧は苛烈でありました。殉教者二十八万といわれる数がそれを物語っている。宗門改め厳密に励行された、この時代に、庶民の一種の免罪符のような役割を大津絵の仏画が持っていたともいわれている。これらの絵は東海道の中でも特に繁盛をきわめていた大津の宿で旅人を相手に売られていた。天保年間、江戸の人口は百万を数え、東の浮世絵はそれら市民を対象に商われていたが、同時代、大津の人口は一万五千人弱で、必然的に往来する旅人相手に商いがなされていたそうだ。
江戸初期より大衆に親しまれ続いてきた大津絵も、世が明治に変わり、欧米文化追随の風潮は、民心を大津絵という民俗美術から遠のかせていった。その上、鉄道の開通などにより、徒歩の旅人が激減し、衰退の一途をたどり、やがてこの大津の地から完全に消え去るであろう大津絵を、それを愛し、民衆の生んだ民画の精神、そして、素朴な美に惚れ込んでいた初代松山など何人かの絵師達が必死にこの絵を大津に残すことに努力したという。
今回お話を伺ったのはそんな大津絵を大津で描き続ける大津絵絵師5代目高橋信介さんだ。高橋さんは大津絵がこれほどまでに有名になった要因は、柳宗悦が民藝運動で大津絵の研究をしていた影響も大きいという。しかしこれほど有名になったために、日本各地で大津絵を名乗って絵師が存在するという。大津絵なんだから大津で描き続けいきたい、それが本来の大津絵の姿のように思うと高橋さんは言う。
また高橋さんは体験教室などを積極的に行い、大津絵を伝える活動も続けている。今後も末永く大津絵の心と筆のあとを後世に伝えていって欲しい。
●体験・見学情報
体験 - 要相談、要予約
見学 - 要相談、要予約
●取扱商品
大津絵、色紙、かべ絵、衝立、掛け絵
●お問い合わせ
株式会社大津絵の店
TEL:077-524-5656
住所:大津市三井寺町3-38
※取材者※
迫間
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